連載小説「いい加減」44〜50回(最終回)大和川人

お楽しみいただきました、連載小説は、今回最終回まで掲載させていただきます。ご愛読ありがとうございました。

「ママは客と二人っきりになれば誰にでも際どいこと言うのかもしれない。酔い癖なのかからかって面白がっているのだろう」

 わたしは思わず“わたしにもそうなんだよ”と言いそうになる。わたしは別に信頼されている訳でもなく暇つぶしの相手でしかないのか…。水商売に浸かってきて相手構わずなのか、商売にマイナスにならないか、ちょっと心配になる。

フーさんはそんなわたしの思いに気付かず、「もちろん、思っている、20年経てばどうなっているか楽しみだね、と言ってやったがね…こんな婆さんでもそんな気起こるの、だってよくゆうよ」

「…で、何が何でもそんな気になったんだね」

 フーさんが首尾よく念願を果せたのか二度あることが三度になったのか、聞く前に開店以来3日に空けず通いつめたさくらをおよそ1年ぐらいで急に顔を見せなくなったことに話が移ってしまう。

全く予期しないことが起こる。

フーさんが機嫌よくさくらで飲んでいたとき二人の男が入ってきた。

「あれいつだったかな、誰が来たと思う?ふたりの男」

「さあ、わたしの知っている人?」

「知っているとも言えるし知らないとも言える」

「分かった。焼き鳥屋のオヤジだろ」

「ピンポーン、もひとりは?」

「さくらで会っている人かな?」

「違う。ある意味知っている人だよ」

 わたしは突然自分の思いに唖然とした。

 驚いたのはフーさんばかりではない。聞いているわたしも驚くしかなかったのだ。

 そう、あの狭間と焼き鳥屋が連れ立って顔を見せたのである。

わたしは1年前までどちらも知らない。フーさんの話の登場人物に過ぎない。だが、いかにも実体を感じさせる者たちである。

 フーさんは目を疑った。どちらにどう声をかけていいのか。

先方二人もしばし瞠目していたらしい。

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 フーさんには狭間も橋野もほぼ20年振りの再会。狭間と橋野がどれほどのどんな関係なのかフーさんは知らないし、そのようなことに思いも至らなかったが、揃っているところはいかにも昔からの知り合いに見える。

「おっ何だ、藤田さんじゃないですか。久しぶりだな、元気でしたか」と狭間。

「いや、驚いた、どうしていたんだ」とフーさん。

 このとき、最も唖然としたのは靖子であった。奥の小さな厨房の暖簾から狭間を凝視した。正に20年前勝手に消えていった狭間が何の前触れもなく目前に姿を現している。強気に振舞っているようだがやはりどこかうらぶれた姿に見えなくもない。いや、昔からさほど風采が挙がらなかったからあの程度なのか、一瞬千千に思いがさかのぼる。どうお愛想したらいいのか戸惑う。

「元気にしていたらしいな」先に声をかけたのは狭間であった。

「いらっしゃい、で、あなたはどなた?」

 靖子はわざと惚けてみた。反抗したい気分である。

「……狭間というシガナイ男で…20年振りに大阪に戻ってきたところでね」

「そうでしたか、それで早速お越しいただいたんですか…」

「みんな久しぶりの面々だ。ビールを出してくれないか」

そう言って狭間はフーさんの横に座る。

「藤田さん、この人知っているでしょ、橋野さん」

「いや久しぶりもいいとこ。焼き鳥をずいぶん食わせてもらった」

「いや奇遇奇遇こんなとこで会うとは…。元気にやっていました? 藤田さんは俺とママの縁結び、なんですよね」橋野はそう言って狭間にも笑顔を向ける。

「いや、おっしゃるとおり」とフーさん。

「ママ、造りを適当に盛って出して…こんな奇遇はない。大いに飲もう、ね、藤田さん。勝手な頼みをして消えてしまって何と言っていいか分からん」

 早くも狭間は饒舌になり始めている。フーさんは何からどう話していいものか、この際何も言わずに成り行きに任せるのが良かろう、そう判断する。

「焼き鳥屋を止めてもう10年になるそうだが、俺と橋野さんは同じ中学の後輩と先輩と分かってね。大阪を離れるときは知らなかったのが、偶然会ってね」

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 狭間は橋野との間柄をフーさんに聞かせるが、ここから3人ともお互いの消息を脈絡もなくしゃべりあう。たまたまこの日は他に客がなかったから、遠慮なく自分たちの過去を長時間にわたり話し続けたそうである。

この間、話を聞くだけでママはほとんど口を挟まず肴を出したり酒やビールを注いだりし、また差し出されたビールを煽っていた。ママには複雑な思いがあったに違いない。多分3人ともに深い関わりと思いがあろうからである。

 そろそろ店を閉めるという午前さんになったころ、

「ママ、俺たちのうちで誰が一番気に入っている?」狭間が突然「…それで決めたいことがある。よく考えて言ってくれ」と言った。

「どう答えてほしいの、狭間さん」ママがそう返すと「おい、正直に答えろ」と狭間が気色ばむ。

「正直に答えていいのかしら…」ママは相当酔っていたに違いない。

「…決まっている、甲斐性のある人よ」

「どんな甲斐性だ?」

「男の甲斐性は昔から二つだけ」

「何だ?」

「言ってほしいの、あなたに無いことよ」

 フーさんはタダでは収まらないと感じたが、己も酔っていてどうにでもなれと投げやりになり高見の見物をもくろむ。

「俺に無いのは何だと言うのだ」

「狭間久しぶりに会ったんだ。もうやめとき」橋野がなだめる。

 聞き分ける限界をとっくに超えていた狭間。

「いや、聞かないと承知しない。言えよ、靖子」

「変なこと言ったね、誰に向かって言っているのよ、あんたに靖子呼ばわりされる覚えないわよ」

「お前は俺の女房だった女だ、言って当たり前だ」

「そうよ、それが一番の後悔の種よ。どうしてノコノコ顔なんか見せて、帰ってちょうだい。橋野さん、早く連れて帰って」

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「連れて帰れてママ、それはないだろ。20年振りだよ。過去がどうあれ、それを言っちゃお仕舞いだ」と橋野。

「焼き鳥屋さんにもずいぶんお世話になったわ。でもね、お仕舞いだからこうなったのよ。知っているのに何でこんな人連れて来たのよ」

「こんな人とはね、狭間。お前はまあ嫌われてしかたないが、20年も経てば時効だ。殺人だって天下晴れてになる。でももういい、帰ろ」と橋野。

「帰らん、聞くまでは帰らん」

「そんなこともういいじゃないか? 帰って俺とこで寝よ」

「あら、焼き鳥屋さんとこで居候しているの?」

「居候ではないですよ。旧交を温めあう同窓生だ、そういう間柄なんだよな、狭間」

「そうだよ、そうなんだ。俺たちマラ兄弟なんだ、なあ藤田さん」と狭間がわめく。

 フーさんも苦笑いせざるをえない。どうやら同じ穴の狢である。

「焼き鳥屋さん、この人に何を言ったの。奥さんが恐かったし結局何もできなかったじゃない」脳天を打たれたような一言、フーさんは自分に発せられたと錯覚しそうになる。「噂だけだったけれど迷惑したわ。でもその方が都合良かったから黙っていたの。とにかく根も葉もないこと言って、男って嫌ね」

 平然としたママの顔に年月の刻みを見る。

「ママ、それ言ったらほんとにお仕舞いだ。ああいう噂がたって変な男が寄り付かないでいいわなんて喜んでいたじゃないか。人聞きの悪いこと言わんでくれよ」と橋野が弁解する。

 フーさんはこのとき焼き餅焼いたことを苦々しく思い出すが“それほんとですかね”と聞く気にならなかった。総て遠い過去になっている。

「それより藤田さん、靖子のこと頼んだね。それで橋野さんとこへ行くことになった。それ聞いたよ。でもそれだけだったのかな…それはないわね」狭間がにやついた顔で変な口の挟みかたをする。

「当たり前だ。お前が置き土産したんだ。俺は靖子さんのこと親身になって心配して、橋野さんとこへ紹介した。結果は悪かったと言えないだろ。しばらくして俺は大阪を離れたんだ、言っただろ」とフーさん。

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「まさか何もしていないことないですよね。ともかく、われわれ3人はこの靖子と深い関係のある者同士ということだ。これだけは間違いがない」と平気な狭間。

「変なこと言い合って、あんたたちもうよして…店閉めるから」

「永遠に閉めてしまえ」狭間が突然わめく。

「永遠にあんたの顔見たくないわ。来たらあかんからね。橋野さん、連れてきたらあかんよ、こんな人」

「二度と来ん、こんな店。だがな、さっきの答えまだ聞いておらん」

 狭間にまだ正気が残っていた。

「うるさいね。何だったか、フーさん覚えている?」ママも付き合いがいい。

ほっとけば済んだかもしれないのに、フーさん狭間に向けて「甲斐性のことだ」とつい乗ってしまう。

「生もう一杯づつ入れてくれ、それから聞いてやる」と狭間。

 ママも商売、注文にはたとえ客がぐでんぐでんになっていてもコックを捻ることは忘れない。

「もうこれで最後よ、今日は何曜日だった」ママは日付の変ったカレンダーを見る。

「金曜日じゃないよ。金、金だよ」橋野。

「もひとつあっただろ」狭間。

「あるわよ、あんたに無いもの、それは誠実」

「誠実?それで飯食っていけるのか」

「食べていくのはお金、生きていくのは誠実」

「それだけか、なんだ詰まらないな。橋野さん、どう思う? 藤田さんは?…俺は違うな。笑うだろうが温もりだ」狭間が意外なことを言い出す。

「どんな温もりなんだろうね」フーさんは考える。なるほどそうだとも思えるが。

「あんたとの生活、温もりはどこにもなかったのによく言えたものだわ」ママが嘆息する。

「分からないか、それは心配りなんだ」またもや狭間。

「それはどこから生まれる?」とフーさん、これはぜひ聞いてみたいと思う。

「それは愛情からなの、あんたたちに教えてあげる」

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「何だそんなことか」と今度は橋野。

「じゃ、愛情はどこから生まれる?」とフーさん。

「ほんとの愛情は男と女が身体を合わせて生まれるんだ」と狭間。

それらしいことを平然と言うのにフーさんは感心せざるをえない。

「おい靖子、もう一度愛情を深めたいと思うのは3人のうち誰だ、正直に言え」

「命令されたくないわ」

「命令じゃないぞ」

「ほんとのこと言ってあげる。あんたが一番嫌よ。でもね、残念ながら3人とも相手ではありません」

「なんだよ。俺らとはもうしたくないということか?」

「そうよ。ここに一杯飲みに来るぐらいが精一杯、そんな人たちとは関わらないの。昔は良かったな、そんな思い出を抱いておくのがお似合いだわ」

 フーさんは二人と同じに扱われたことが癪に障るが反論する気になれない。

「上手いことゆうね。だが、選ぶとしたら藤田さんだろ」

「これだけは言わないつもりだったけど、あんたら帰らないから教えてあげる。いいかしら…」

「いいかしら…だって、どこの国の言葉だ」狭間にはまだ勢いが残っている。

「これ聞いたら帰ると約束できる?」

「言わなくても引き上げる。あした、いや今日仕事あるんだ」

「…わたしのあそこ見たいなんて言わない人よ、分かった?」声が高まる。

 3人顔を見合わせ唖然となる。フーさんは自分への当て付けかと思ってしまう。

「それ違っているだろ。わたしのあそこ舐めさせてくれ言う人だろ、いや違うか。俺のここ銜えてくれという奴か。それぐらいはしてやらないともう男寄ってこないだろうな。歳なんだから…」と狭間がうそぶく。

 フーさんはどうしてこんなことを狭間が言うのか、思わず橋野を見る。

「ありがと、わたしもこのごろ気付いたの」殊勝らしくママはそう応える。

フーさんはもうここへは来ないことにしようとこのとき決心したというのだが、その気持ちわたしには分かる。

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最後にフーさんが言い残したことがある。

「池原さんとはもう会わないかもしれない。ですが、どうして尋ねてきてまで俺の話こんなに熱心に聞くのか不思議に思っていたが、次第にその訳が読めてきた気がする。池原さんも迷っているね。でも、それは聞かないことにする」

 わたしもフーさんとママの最後の首尾を聞かないことにした。フーさんとの長話にわたし自身いい加減になっていたからである。ここ1年の間にさくらに現れた男のうちあれが元の亭主、あれが焼き鳥屋であることは話の端々から直ぐに分かっていたことである。

フーさんに代わってわたしが飲み助の狭間や橋野に声をかけ多少でも昵懇にするのがいいのかどうか、その答えが出たような気がする。

ママがわたしに彼らの素性を言わないのがその証拠でもあるのだろう。

今のところママが単なる客と扱っているようだし、彼らも平然とときどき顔を見せきわどい冗談を言っては大笑いしているのはそこそこ仕事が続いている証しでもある。それに彼らにはもう疚しい、いや正常な願望を持つほどその元気がないのかもしれない。それとも、それなりに受け止めてくれる相手がいるのかもしれない。

こんな詮索じみたことを思うのはよそう。下賤に過ぎるやもしれぬ、払拭しなければならないのはこのわたしだ。

フーさんの話にいつまでも囚われていてはならない。

ともかく、そのときにいかにも辻褄が合うかのようにママの娘と孫がピタリと店に顔を見せなくなったことは、ママの賢さであろう。

さて最後にひとつだけ種明かしをすれば、わたしの妻の兄の娘とママ靖子の息子祐介がいっとき夫婦であったという間柄である。これも因縁かもしれないが、こうしたこといくらでもありうるだろう。

だからどうだということではないが、わたしは一体何をどうしたいと思っているのか、分からないほどいい加減なのである。

いい加減にしろと自分に言い聞かせつつ今日も酔っていい加減に生きている。

多分ママの靖子も半分いい加減に生きているのであろう。

                       2008年1月15日脱稿

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